blog 迷子のままに:

山下耕平(やました・こうへい)
NPO法人フォロ事務局長、不登校新聞社理事など。

不登校、ひきこもりなどを中心に、書いてます。
一部は「なるにわブログ」から引き継いでます。

   

脱原発と脱学校-8

ウラミンには、大ざっぱに言って、二種類あるように思う。ひとつには、加害者など相手のある場合。自分に危害を加えた相手を許せないという気持ちが溜まって、いつまでたっても、ウラミンとして残ってしまっている場合。もうひとつは、世間の価値尺度で見れば低い位置にいる自分が、自分でも許せず、世間へのうらみつらみになって溜まっている場合(現実には両者が絡まっていることが多いだろう)。どちらも、誰の心にもあるものだろうが、一定量を超えると内部から人をむしばんでしまう。前者については、一般論にはしにくいので、ちょっと置いておくとして、後者について考えてみたい。
 
世間の価値尺度でのみ自分のことをはかって、ものすごく自分を否定してしまっていると、ウラミンは溜まってしまう。しかも、自分のことを否定しているだけではなく、自分と同じ立場にいる人をも否定する。たとえば学校に行っていない/働いていない自分を許せていない人は、学校に行かない/働かないことに対して、誰よりも否定的だ。つながり得るはずの当事者どうしが、おたがいを攻撃しあってしまう。そういうことが、しばしばある。
 
世間の価値尺度から自分がズレてしまったからこそ、問いは生じる。また、別の価値尺度で人とつながるチャンスになりうる。しかし、放っておくと、ウラミンのエネルギーに負けてしまって、泥沼にはまりこんでしまう。つながり得るはずの人との関係を壊し、孤立を深め、悪循環してしまう。好機と危機は、つねに裏腹なものなのだろう。私たちには、危機を好機へと捉え返していく知恵が必要だ。

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プロフィール

HN:
山下耕平
性別:
男性
自己紹介:
1973年、埼玉県生まれ。大学を中退後、フリースクール「東京シューレ」スタッフを経て、『不登校新聞』創刊時(1998年)から8年間、編集長を務めた。2001年、フリースクール「フォロ」設立時より、同事務局長を務める。2006年より、同法人で18歳以上の人の居場所を始め、コーディネーターをしている(なるにわ)。2012年より関西学院大学で非常勤講師。著書に『迷子の時代を生き抜くために』(北大路書房2009)。野田彩花さんとの共著に『名前のない生きづらさ』(子どもの風出版会2017)。

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