blog 迷子のままに:

山下耕平(やました・こうへい)
NPO法人フォロ事務局長、不登校新聞社理事など。

不登校、ひきこもりなどを中心に、書いてます。
一部は「なるにわブログ」から引き継いでます。

   
カテゴリー「雑記」の記事一覧

ボーッと生きていたいのに、イタタタタ。

チコちゃんには叱られそうだが、ボーッと生きていたい。

というか、どんなにボーッとしていても、身体は生きてくれているというのは、すごいことだと思う。心臓や胃腸などはもちろんのこと(不随意筋)、手足だって、自分の意志で動かしているようで、意外とボーッとしていても動いてくれているものである。歩いているときに、いちいち考えながら足を出していないし、着替えるときに、いちいち動作を考えたりしていない。

ところが、四十肩になって、ふだんの動作に支障が出ると、とたんに考えなくてはならなくなる。思うように動かないということもあるが、いつものようにボーッと動かしていると、激痛に見舞われてしまったりするのだ。

痛いから気をつけようと思っていても、不意に激痛に見舞われるパターンがふたつあることに気づいた。ひとつは寝返りで、これはどうしようもない。夜中に激痛で目覚めることしばしばだ。もうひとつは、物が落ちそうになったときなど、反射的にパッと手を出してしまうとき。これも意識的に止めることは難しい。

痛いことが一番困っているのだが、もうひとつ、困っていることに気づいた。ふだんは意識せずに済んでいる動作を、いちいち考えなくてはならないことが、めんどうくさい。着替えるときは、右から先に袖を通していたのを、左から通す。リュックを背負うときもしかり。身体を洗うとき、ちょっと背中を掻きたいとき、調理をするときなどなど、いちいち意識して動かすことになってしまった。

慣れてくれば、また考えなくてもできるようになるのだろうけれども、ボーッとしていてもできていたことが、いちいち考えて動かさなくてはならないというのは、地味にストレス度が高い。

そういう意味でも、人間が意識してできることなんて、かぎられた範囲のことだと思う。私たちは、ふだんは意識してなくても動いてくれている、さまざまのことに乗っかって生活しているのだ。ボーッとできることのありがたさを思う。

夜になって、またチクチクさんがいらっしゃっているが、今夜は少しでも安眠できますように。

写真は昨年(2018年)秋に、奈良県明日香村のかかしロードにて撮影。

四十肩、痛み、ゆだねる。

今年に入ったあたりから、どうも腕が上がりにくい、違和感があると思っていたら、だんだん痛くなってきて、立派な四十肩になった。五十肩とも言うそうだが、現在46歳の私は四十肩ということにしておこう。

腕が後ろにまわらないので、着替えるのも不便だし、リュックを背負うのも不便だ。ややもすると激痛が走る。四十肩が痛いとは知らなかった。何ごとも他人事のうちは関心の薄いものだ。

この痛いのが困る。上腕のあたりが、何もしてなくてもチクチク痛む。とくに夜間に痛むので、ひどいときは眠ることができない。誰かが呪いの藁人形に五寸釘でも打ちこんでいるのかと疑いたくなる。そこまでではない日でも、寝返りを打つと痛かったりするので、どうしても眠りが浅くなってしまう。そのせいで日中も頭が冴えず、どんよりしている。

何度か、マッサージや鍼をしてもらった。施術してもらうと、肩がまわったり痛みも軽くなったりするのだが、だんだん、また痛くなってくる。基本的には、気長にストレッチしながら、おさまるのを待つほかないそうだ。病気ではないので、そのうちにはおさまっていくという。それが数カ月なのか1年くらいなのかわからないが、経過してくれるのを待つほかない。

「老化の階段くだる~♪ 君はもう四十肩さ♪」という歌が脳内に響いている(ネタがまた古い)。

自力でがんばっても、どうにもならない。マッサージや鍼などでサポートしてもらっても、基本的には経過するのを待つほかない。四十肩にかぎらず、生きていくことにまつわる多くのことは、そういうものなのだろうと思う。がんばれば成果の出ることなんて、ごくかぎられた範囲のことだ。どうにもならないことはたくさんあって、多くの人が、それをなんとかしのぎつつ、日々を生きている。むしろ、どうにもならないことは、そこにばかり意識を向けるのではなく、ほかに意識を向けるということも大事なのだろうと思う。

AA(アルコホリック・アノニマス)の12ステップにならって、「私たちは四十肩の痛みに対して無力であり、どうにもならなくなったことを認めた」とでも言っておこう。ハイヤーパワーだか神だか仏さまだかわからないけれども、そこにこの痛みをゆだねたい。

と言っているそばから、チクチクしてきた……イテテテ……。

時間の流れは不可逆だが、季節はめぐる。

時間の流れは不可逆なのに、季節はめぐる。子どものころから、そのことが不思議でならなかった。イメージとして言えば、直線なのか円環なのか。時間はまっすぐに進んでいるのだろうか、それとも、ぐるぐると円環しているのだろうか。これを考えるだけで、宗教的な世界観まで含めた大きな問題になるのだと思うが、それはさておくとしても、時間の基準は、1年とか1日とか、地球の円周的な動きに拠っている。アナログの時計も、針はぐるぐるまわる。時間の流れは不可逆ではありつつも、まっすぐに流れているわけではなくて、ぐるぐるとめぐり続けているのだろう。

忘年会では、1年のくさぐさは忘れ去って、きれいさっぱり新年を迎えたいと思うが、忘れ去ったつもりのものも、めぐりめぐって還ってくることがある。ちょうど、ゴミとして捨て去ったものが、環境問題として還ってくるように。もちろん、誰しも忘れたいことはあって、「時間薬」というように、忘れることで癒やされるということもある。時間が過ぎ去ってくれるということは、切なくも、ありがたいものだと思う。だけど、忘れていたものが、めぐりめぐって還ってきたときは、自分にとって不都合なものであっても、目をつむらず、迎え入れることが大事なのだと思う。

神道の捉え方では、お盆は荒魂(あらみたま/まだ亡くなって日が浅く、人格を持った魂)が還ってくる時期で、お正月は、和魂(にぎみたま/浄化されて「カミ」になった魂)が還ってくる時期だそうだ。お盆にはかがり火で荒魂を迎えて、精霊送りで黄泉にかえす。お正月には和魂を門松で迎える。きっと、お盆に荒魂を何度も迎え入れているうちに、魂はだんだんと浄化されて和魂になっていくのだろう。忘れられたままでは、荒魂はあらぶってしまうにちがいない。

新しい年を迎えるが、忘れたいことも、忘れ去ってしまっていることも、還ってきたら、ていねいに迎えようと思う。


不登校は差別語?

不登校新聞487号(2018年8月1日)に、「不登校という言葉はもうやめよう」という記事が載った。喜久井ヤシンさんという方が書かれたもので、喜久井さんは、「不登校なんて言葉は最悪だ」という。少し引用しよう。
まず「不」とは何事か。ガッコウに行かないこと、行けないことについて何十年も議論しているというのに、いまだに「登校の否定」によってしか語れないなんてどうかしている。もしも日本語で女性のことを「不男性」、LGBTを「不異性愛」、在日コリアンを「不日本人」などと呼んでいたら差別だろう。なのになぜ「不登校」はありなのか。そして便宜上必要だったとはいえ、「不登校」という言葉が、なぜ法律にも位置づけられてしまったのか。


喜久井さんは、「不登校」を差別語だと断じ、「私はこの言葉を生涯かけて呪う」とまで語り、そして、新しい造語を勝手に使っていくべきだと書いている。たとえば「教育マイノリティ」「オルタナティブ・エデュケーション・チルドレン」「私教育集団」など。

こうした議論は、昔からあった。同じ否定形でも、「登校拒否」のほうが、本人の拒否の意志が表れていてよいという人などもいた。否定形ではなく、もっと積極的に語ることのできる言葉はないのかという問題意識はわかるようにも思う。

しかし、それに対して喜久井さんが提案されている造語は、どれも「不登校」とはズレをはらむもののように思える。手前味噌で恐縮だが、私は共著の本『名前のない生きづらさ』のなかで、次のように書いた。
不登校という名前は、それ以前に比べれば淡白になったとは言え、やはり、そこには学校に行かないことを異常視するような、名づける側のまなざしがある。しかし、それを周囲がフリースクールやホームエデュケーションなどの名前に置き換えて、世間に理解しやすいストーリーに組み替えてしまうことも、本人不在になってしまうと言えるだろう。不登校は、フリースクールという名前からもズレるものだ。そして不登校に関わる人は、そのズレにこそ、真摯でなければならないと私は思っている。ただ、そのズレは、一般にはとてもわかりにくいものだし、わかりにくいものを、わかりにくいままに見るというのは、なかなか難しいことだと感じている。

積極的なものとして語ろうとしたとたん、実際とはズレてしまう。そういうところが「不登校」にはあるように思える。不登校にかぎらないが、子どもが「イヤ」と言っていることに対し、「じゃあ、どうしたいの」と親が迫ることはよくある。しかし、イヤなものはイヤとしか言いようがない。何かを選ぶことと、「イヤ」は異なるものだ。学校がイヤということと、オルタナティブな教育を選ぶことは同じではない。

話はいきなりぶっとぶが、般若心経は、たった266文字のお経のなかに「不」が9回、「無」は21回も出てくる。仏教のエッセンスとも言われる般若心経は、ああでもない、こうでもないと、ほとんど否定形でしか語っていない。真理というか、そういうものは、否定形でしか語り得ないのかもしれない。

それはともかく、私は、不登校はやはり否定形でしか語り得ないものではないか、という気がしている。それが個人の心理の問題にされたり、差別の対象とされるのは問題だが、否定形だから差別語だというのは短絡にすぎるだろう。

不登校はモヤっとしているがゆえに、いろんな人が自分の文脈に引き寄せて語ってきた。たとえば、精神科医、心理学者、教師、親、フリースクールやホームエデュケーションの関係者などなど。しかし、そのどれもが、ズレをはらんできた。

喜久井さんが「不登校」という言葉に感じるズレには共感するが、であればこそ、ズレこそを大事にしませんか、と提案してみたい。

プロフィール

HN:
山下耕平
性別:
男性
自己紹介:
1973年、埼玉県生まれ。大学を中退後、フリースクール「東京シューレ」スタッフを経て、『不登校新聞』創刊時(1998年)から8年間、編集長を務めた。2001年、フリースクール「フォロ」設立時より、同事務局長を務める。2006年より、同法人で18歳以上の人の居場所を始め、コーディネーターをしている(なるにわ)。2012年より関西学院大学で非常勤講師。著書に『迷子の時代を生き抜くために』(北大路書房2009)。野田彩花さんとの共著に『名前のない生きづらさ』(子どもの風出版会2017)。

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