blog 迷子のままに:

山下耕平(やました・こうへい)
NPO法人フォロ事務局長、不登校新聞社理事など。

不登校、ひきこもりなどを中心に、書いてます。
一部は「なるにわブログ」から引き継いでます。

   
カテゴリー「執筆・掲載記事」の記事一覧

断片から見える景色を

フォロのニューズレターに、当事者研究について思うところを書いてみた。

 *  *  *

づら研(生きづらさからの当事者研究会)では、よく「渦中のときは言葉にならない」ということが言われる。生きづらさを語ると言っても、いま渦中にある、一番しんどいところは、言葉にならない。言葉になるのは、ある程度、のど元を過ぎて、ほとぼりもさめかかったころのことだ。言葉になった時点で、生きづらさは半分くらいは成仏しているというか、何かが解決しているわけではなくても、整理されているところがある。

でも、まとまった言葉ではなくても、断片的に言葉になることはあって、いろんな人の、断片を持ち寄ると、そこで見えてくるものがある。おしゃべりしているうちに、だんだん景色が見えてきて、視野が開けてくる感じ。それを私たちは、「当事者研究」と呼んでいるように思う。

●スタッフも当事者研究

ところで。

この当事者研究的なものというのは、いろんなところで活かせるように思っている。たとえば、昨年度までは助成事業として行なってきた「不登校さぽねっと」の活動は、今年度は規模を縮小して、フリースクールスタッフの当事者研究を試みたりしている。スタッフも、子どもとの関わりや、スタッフどうしの関わり、自身の問題など、いろいろ困難さを抱えることがある。それを「支援者」の顔をして、「自分は大丈夫です」みたいに言っていると、その困難さを自分に閉じ込めてしまって、こじらせてしまうことにもなりかねない。スタッフこそ、弱さを情報公開して、渦中にある問題の断片を持ち寄って、言語化できないでいる部分を言葉にしていく工夫が必要かもしれないと思う。

あるいは。

子どもたちとも、もっと、こうした試みができないだろうか、と思案している。自分のことを思い起こしても、中学生のころなどは、渦中の問題を言語化できないで苦しかった思いがある。10代にこそ、当事者研究的なものは必要かもしれないとも思うのだ。とくに、いまの子どもたちは、上の世代の人よりも、自分の置かれている状況が不透明で、つかみづらく、自分の困難さも、言葉にしにくいように思う。TwitterやLINEには、断片の言葉があふれている。でも、それが持ち寄られて、分かち合われて、そこから視野が広がるような工夫がないと、断片はささくれだったままで、苦しいような気がしてならない。

●現代版の綴方運動?

私は不登校新聞社というNPOにも関わっているのだが、そこで「不登校50年証言プロジェクト」という企画を担当している。プロジェクトでは、70~90代の方にお話を聴いたり、編集したりする機会が多く、そのなかで何人かの方から、生活綴方運動の話をうかがった。貧しく苦しい生活状況のなか、自分の置かれている状況を作文にして、それを教師や、ほかの生徒とやりとりするなかで、自分の状況を考え、自分の生活を自分の言葉で語り、そこから視野を広げていく。そして、それが自分の生きる土台となっていく。
いまの子どもたちにも、現代版の「生活綴方」のようなことが、必要なのかもしれないと思う。いまの時代は、かつてとは、またちがった意味で、子どもに厳しい時代だ。何が苦しいのか、何が不安なのか、何が問題なのか、とても見えづらい。そんな不安をひとりで抱えていると、こじらせてしまう。

スタッフも、親も、子どもの上に立つのではなくて、いっしょに考え合って、断片をつないで、そこから見えてくる景色をながめる。そんなことができないかと夢想している。
(Foro News Letter Vol.45 / 2017.11.15)

学校が「生きジゴク」になったころ

『おそい・はやい・ひくい・たかい』No.90の特集は発達障害。80年代に小中学生を過ごした経験からの原稿をという依頼があって、執筆させていただきました。編集部の了解を得て、下記に転載します。


●いっせいにいなくなった同級生

80年代は、すっかり懐メロ的な時代になってしまいましたね。氣志團みたいなヤンキーに、聖子ちゃんカットの女子があふれ、「おいしい生活」を求めて、みんながバブルに向かってまっしぐらな時代……古き良き時代となつかしむ人もいるでしょう。でも、一方では、鹿川裕史くん(当時13歳)が「このままじゃ生きジゴクになっちゃうよ」と遺書を残して自殺したように、80年代はいじめ時代の幕開けでもありました。

私自身のことを言えば、1973年に埼玉県の郊外住宅地で生まれ、育ちました。第二次ベビーブーム世代で、近所は同年代の子どもだらけ。クラスには農家や自営業の家の子もいましたが、家の近所はほとんどがサラリーマン世帯でした。小学校に入学したのは1979年。そう、養護学校が「義務化」した年です。

小学校1年生のとき、同じ学年に「障害」を持った子は何人かいました。なかでもよく覚えているのは山田くんで、ものすごく大きな身体で、廊下でウンチをしていたのは強烈に覚えてます。というのも、私もウンチやオシッコを教室で漏らしてたもので、堂々と廊下でウンチをしていた山田くんには、びっくりするとともに、ひそかに仲間意識を覚えてました。

ところが、その子たちは、小学校2年生にあがるとき、いっせいにいなくなってしまいました。それが教育制度の影響によるものだったと知るのは、自分が大学生になってからのことでした。その後、学校が「生きジゴク」と感じるような息苦しさを強めていくのは、このとき「異質」なものを排除したゆえだったのかもしれません。


●学校という「箱」

ヤンキーたちが暴れまわり、校則管理や体罰が横行し、いじめが陰湿化し、そうした学校に嫌気がさして登校拒否しても、戸塚ヨットスクールみたいなところに入れられて、スパルタ訓練させられる……。思い出すほど、あまりいい時代のようには思えません。学校という「箱」がとっても息苦しいものになって、そこで暴れる人と、ガマンしたままいじめに走る人と、そこから逃げ出す人がいて、教師はそれを何とかしようとシャカリキにがんばっていたのかもしれません。いずれにしても、学校という「箱」が大きな意味を持っていたのはたしかでしょう。

では、その後の時代はどうかと言えば、たとえば不登校に関して言えば、昔よりは学校が相対化され、無理な登校強制などは減りました。校則管理や体罰も、まだまだ問題はあるものの、80年代よりはマシなような気がします。ヤンキーはマイルド化して、かつてのような校内暴力はあまり見かけなくなりました。じゃあ子どもが楽になったのかと言えば、どうも、かえってしんどくなってるように思えます。なぜでしょうか?

それはきっと、「箱」が細分化してしまったからのように思います。今号のテーマの発達障害は、その代表格でしょう。それまでは「ちょっと変わった子」だったのが、診断されて障害名がついて、特別支援という「箱」に移されてきました。フリースクールなども、学校そのものを問う存在から、学校以外の「箱」として、認知されるとともに、そういう「箱」として分類されてしまった感があります。子どもが暴れたり逃げたりしても、学校という「箱」への問題提起にはならず、別の箱への移動になってしまう。そして、残ったほうは、ますます息苦しくなっている。そんなふうに思えます。


●不安に満ちた関係のなかで

学校だけではないでしょう。あらゆる人間関係において、ちょっと摩擦があると関係が切れてしまう不安感があって、揉めてもゴチャゴチャしても仲直りできるというような信頼感は、どんどん薄まってしまっているように感じます。だから場の空気を読むことがますます必要になって、ますます空気を読むのが下手な人は「障害」とされてしまう。第一、子どもにとやかく言う前に、大人どうしの人間関係も不安に満ちてはいないでしょうか。そうなると、大人と子どもの関係も不安なものになってしまいます。子どもからしたら、自分をぶつけて、受けとめてくれる大人がいないような感覚が強まっているように感じます。

それが「多様性」「自由」「個性」なんて言葉に包まれて、見えにくくなっている。すべては自己責任になってしまっていて、場や関係に問題を投げかけるよりも、自分で解決すべきものになってしまっている。自分で解決できないものは専門家に頼ることになる。そこで解消されないモヤモヤは、ときに暴発して他者に向かったり、自分に向かうと自傷行為や依存症なんかになってしまう。なんだか希望が見えません。自分で書いていてウンザリしてきました……。

でも、依存症に「底つき体験」という言葉があるように、きっと、この息苦しさにも底はあるはずです。というよりも、この息苦しさを問うているものこそが、「問題行動」と見えるさまざまな現象なのでしょう。いつの世も、問題と見えるところにこそ、希望は宿るものなのかもしれません。

たとえば、私が関わっている若者の居場所では、「当事者研究」をしています(生きづらさからの当事者研究会/通称“づら研”)。発達障害、統合失調症、ひきこもり、ニートなどなど、さまざまに名指される当事者が参加しています。そこでは、自己責任ではどうにもならなくなった自分の問題を、情報公開し、他者とともに「研究」することが、あらたな共同性につながっています。まあ、あんまりカッコのよいことも言えなくて、つねに問題だらけですが、不器用にぶつかり合ったり、ときに炎上しながらも、続いている共同性に、希望を感じています。

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※ほかの記事も読んでほしいので、よかったら、『お・は』を買ってください。↓
『おそい・はやい・ひくい・たかい』No.90特集:「発達障害」を身近に感じたとき

プロフィール

HN:
山下耕平
性別:
男性
自己紹介:
埼玉県生まれ。大学を中退後、フリースクール「東京シューレ」スタッフを経て、1998年、『不登校新聞』創刊時から、2006年6月までの8年間、編集長を務めた。また、2001年10月、フリースクール「フォロ」設立時より、同事務局長を務める。2006年10月より、若者の居場所「コムニタス・フォロ」を立ち上げ、コーディネーターをしている(現在は「なるにわ」と名称変更)。2009年2月、『迷子の時代を生き抜くために』を上梓。

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